シクラメン、篝火草(カガリビバナ)とも。
2010年12月19日日曜日
2010年12月6日月曜日
2010年11月22日月曜日
2010年11月16日火曜日
2010年11月9日火曜日
2010年10月24日日曜日
いつかここで泣く人のために
「この占春園には幸田文さんが植えてくださった
小鳥の好きな実のなる木があります。大切に育てましょう。
筑波大学付属小学校 文京区役所」
茗荷谷から小石川へ行く途中にあります。
お得意先に行った帰り、いつもちょこっとだけ寄ります。
先日もこちらに寄って、帰ろうとしたら、
私より年配の女性が入って来られて、
「ここはいいところですね~」と言われます。
「ええ、そうですね」と私。
「ほんとうにいいところだわ。
悲しいときに泣きにきても、誰もいないもの。
思いっきり泣けそう」
「ええ、ほんとうにそうですね。」
そんなことしか言えなかった。
今の私は泣きたいほどの悲しみを抱えていないけど、
人生のはじめの頃に悲しいことがあって、
樹々や花や虫たちにとても慰められた経験がある。
そして文さんの小説を読むと、その境遇に
少し自分のと重ねあわせることができたりもする。
樹を植えることを決めたとき、
文さんにはどんな思いがあったのだろう。
東京に少しでも緑を、という思い、
賑やかに囀る鳥たち、それを観察する子どもたち…。
だけどそれだけではなく、
やがてこの庭を訪れて泣く人のことも、
考えておられたような気がしてならない。
2010年10月17日日曜日
虹
バスを待っていて、ふと空を見上げたら
虹がありました。
よくあるようなアーチ形でなくって、
そこにだけきっと水蒸気の層ができて、
光のプリズムができた、そんな感じです。
目をかなり凝らさなくては、あるのかないのかさえ
分からないような虹でした。
うわー、誰かに教えたい、知ってる人通らないかしら?
残念ながら人通りも少なく、やがて来たバスに乗りました。
もしかするとこういう虹って空にはいっぱいあって、
気づかないだけなのかもしれませんね。
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2010年9月28日火曜日
曼珠沙華と狐
狐の男の子がやってきてお母さん狐に言いました。
「うわぁ! かざぐるまがいっぱい!」
お母さん狐が言います。
「坊や、それは曼珠沙華って言うお花よ」
「なーんだ、そうかぁ。だから吹いても回らないんだ~」
さっきから花をフーフーと吹いていた坊やは、
つまらなさそうです。
お母さん狐は「ちょっと待っていてね」と言うと呪文をとなえ、
曼珠沙華をかざぐるまにかえました。
「ありがとう! お母さん」
子狐は曼珠沙華のかざぐるまを持って走り出しました。
かざぐるまは気持ちよさそうに クルクル 回りはじめます。
子狐が楽しくなって、よけいに早く坂道を走りまわると、
かざぐるまもいっそう早く、クルクル クルクル 回りました。
走りまわって男の子がそろそろくたびれそうになった頃、
「シィッ!!」
お母さん狐が言いました。
「人の声がするわ。きっとお墓参りの人たちね。
さぁ、見つからないうちに帰りましょう」
男の子は「は~い」というとかざぐるまを置いて
お母さんについていきました。
それからしばらくすると、今度は人間のお父さんお母さん
そして男の子が山道を上ってきました。
お花の入った桶を持っています。
「わぁ! かざぐるまだ!」
ちょっとくたびれかけていた男の子は、
とたんに元気になって言いました。
「誰のだろう?」
不思議そうに男の子が拾うと、
かざぐるまは風もないのにクルクル クルクル
歌うようにまわり始めました……
とさ。お話はこれでおしまい。ぼうや、おやすみ。
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2010年9月14日火曜日
海沿いの町へ
今日は海に沿って走る電車に乗って、
88歳の大伯母を訪ねました。
腰も曲がってしまった大伯母ですが、
元気にいろいろな話をしてくれました。
大伯母さま、いつもありがとうございます。
帰りは海の見えるロープウェーで帰りました。
写真は、訪れた町のマンホールの蓋です。
(どこか、分かるよね。)
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architecture
2010年9月11日土曜日
おいしいお酒
2010年9月6日月曜日
慎重に検討を重ねた結果
ずっと前に使っていたプラスティックのマウスパッドが、
熱のせいかヘナヘナになり、
それからはマウスパッドなしでした。
特になくてはならないわけでもなく、
仕事にも支障がなかったわけで…。
ですが、ベニヤを敷いている(上の写真の机ではない)我が仕事机の、
マウスパッドの位置、だんだん黒ずんでくるので、
いいのが見つかったら買おうと思ってました。
そして昨日、徘徊していた西武デパートで、
箱根寄木細工のマウスパッドを見つけたのです!
最初、目にとまったのは市松模様のおとなしいもので、
サイズもこの二分の一でしたけど、
即効買わずに家に戻り、どうしたものかと考えたあげく、
今日、池袋に立ち寄った折、
「箱根寄木細工はこれでなくっちゃ!」柄の方を買いました。
結果、とても気に入ってます。
今まで使ったマウスパッドのどれよりも。
マウスの移動が気持ちいい。置く手の感覚も気持ちいい。
満足です、ええ。
2010年9月5日日曜日
2010年8月29日日曜日
絵に会うために
晩年の30年間は家から一歩も出ないで、
絵を描いていたそうです。
そのおじいさんが亡くなって5年後に建てられた美術館も
すでに25年を経ています。
豊島区千早の住宅街にあるその美術館へ、
ちょうど機が熟したような予感がして、行ってみました。
蟻や鳥、蛙、猫、墨の大書、などなど、すべて脱力系。
それでいて涙が出るくらい感動するのはなぜでしょう。
美術館には、おじいさんが使っていたイーゼルや、
若い頃に引いたチェロも置かれています。
庭には欅とハゼの木がそよいでいました。
バイバイ、おじいさん、また来るね。
こちらが豊島区立熊谷守一美術館HP
2010年8月26日木曜日
月とネオン
「月がとってもきれです」とメールいただき、
水道橋からお茶の水へ歩く。
最初はビルばかりでお月さまがみつからなかったものの、
御茶ノ水ではこのとおり。
ところでこの神田川、都会にすごい渓谷!と思っていたのですが、
江戸時代に土地を削って川を通しているらしい。
東京は、知れば知るほど面白いなぁ。。
(古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで
「神田山」と呼ばれていたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、
水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて
東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成された。
同じ頃、その北側にあった高林寺から泉が出て、
この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、
この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったといわれる。(wikipediaより)
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2010年8月20日金曜日
歴史のはざま
今日は出光美術館に行ったのですけど、
時間があったので第一生命ビルで展示していた絵画を見て、
喫茶室でお茶を飲みました。
このエントランス、
GHQ本部があった当時、どのような人が
どのような思いでここを通っていたのでしょうか…。
比較的空いていてゆったりした喫茶室で、
ケーキとアイスコーヒーをいただきました。
ラベル:
architecture
2010年8月15日日曜日
2010年8月4日水曜日
藤 棚
家に帰ってからこの写真をデスクトップに置きました。
仕事に疲れたらヨッコラショとウィンドウの中に入り、
ここで昼寝をしようと思います。
寝過しているときは起こしてください。
できればメールで、お茶とお菓子を添付して……。
@午前の根津美術館
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2010年8月3日火曜日
虹を織る蜘蛛
投稿を公開
私の蜘蛛への関心は、小学校のときに読んだ『緑の館』(ハドソン)に始まります。
アマゾンの奥地に住むリーマという少女の服は
薄くて軽くてとても美しく、彼女に出会った青年が不思議に思って尋ねると、
リーマは実際に蜘蛛がその衣を織る様子を青年に見せます。
私はこれでハマりました。
そしてそんな布を織る蜘蛛を今も探し続けています。
ちょっと調べたら、「社団法人農林水産技術情報協会」のHPに
このようなページが…。
*
芥川龍之介の短編『蜘蛛の糸』では、
お釈迦様が極楽から蓮池の底の地獄に、
救命ロープの代わりにクモの糸を垂らす。
ぼくはこの話を中学の国語で習ったが、
その時の友人の質問と教師の回答が秀逸であった。
「先生、蓮池のハスはどこから生えているのですか」
「それはあの世の神秘である」。
また、博物学者で小説家のハドソンの南米を舞台にした小説『緑の館』(1904)には、
また、博物学者で小説家のハドソンの南米を舞台にした小説『緑の館』(1904)には、
クモの糸で紡いだ服をまとった妖精のような少女が登場し、
世界中の男の子がクモ嫌いを棚にあげてそのロマンチシズムに酔った。
2010年7月20日火曜日
2010年7月15日木曜日
花のささやき(野の百合)
2010年6月30日水曜日
2010年6月15日火曜日
2010年6月9日水曜日
2010年6月8日火曜日
2010年6月6日日曜日
2010年6月3日木曜日
2010年6月2日水曜日
2010年5月24日月曜日
2010年5月23日日曜日
直立不動(虫類が苦手な方はパスしてください)
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